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時代は令和元年若葉の頃、この文章を書かせていただいている中で、影で絶大なるサポートをしてくれているKさん...弊社のライターさんです。文章を書くにあたり何の知識もなく、勉強した事もない者が書く文章は、きっとプロからすれば、歯がゆいところも多々あると察しております。が、Kさんは自由に書かせてくれるのです。文法も起承転結も考えず、思うがままに書く、感情のままに書く、この自由奔放な文章を毎回、“楽しみ!”と称してくれます。 もしかしたら、威圧感? で何も言えない?? いえいいえKさんは正義の人! 誤りはきちんと指摘してくれますよ。 さて、今回もKさんを悩ませつつ、思うがままに書かせてもらおうと....と言いますか、その方法でしか書けないのが実情なんですが....。(そうなんだ! と ここは笑ってスルーして下さいね) 第⑩章は、がんさんが立川の地で大きく意識が変わる時期の......そんな時代のがんさんふみさんに会いに行こうと思っています。 がんさんは、ちょっと焦りはじめていますよ。この立川に生まれ育ったわけでもなく、知人、友人がいるわけでもないこの土地での商売...人脈もなく苦戦していました。そんな時、運命はがんさんをある方向に導いてくれました。

激動する昭和の「立川」

まずは昭和の時代の「立川」についてふれておきたいと思います。今や海外との取引も多くなった㈱立川徽章ですが、この 立川 の地があってこその会社なんです。何が素敵な会社なのかは、この がんさんのいた街...立川 を読み続けていただければきっと伝わると思い、つたない文章力と自覚しつつ、書き続けたいと...いやいや、書き続けます。(Kさん宜しく!) 何かと賑やかだった令和への時代のスタートから、最近は平静が戻り、それぞれが令和の時代を生きて行こうと動き始めましたね。がんさんふみさんのいる昭和50年代、西暦1977年が本当に遠く感じるようになりました。 でも、色褪せる事のない、輝き続ける がんさんふみさんの人生は確かにそこに存在しました。 そして今も尚、㈱立川徽章とともに生き続けています。 昭和50年代、立川市は現在のこの住みやすい立川の街づくりにかなり着手しているようですよ。調べてみました。  昭和52(1977)年  立川基地全面返還  これは立川の地に大きな大きな変化をもたらしました。  昭和57(1982)年  多摩地域都市モノレール等建設促進協議会発足  今や多くの人が利用しています そして、立川を代表する憩いの場所 立川基地跡地に....そうなんですね~  昭和58(1982)年  国営昭和記念公園が一部オープン  いつ行っても何かしら素敵なお花が咲いています 昭和天皇記念館も隣接して、ゆかりの品々が展示されています。 “住めば都” ㈱立川徽章はこの素晴らしい 立川 の地で商売を始め、そして今も尚、この 立川 の地を愛し、進化し続けている素敵な会社なんです。(恒例となってしまいました....自画自賛です ここも笑ってスルーして下さい)

突然の来客

さあ、本編です! 幼稚園の廃墟を利用していたころの㈱立川徽章には、スポーツ屋さんの営業マン、個人でやられている社長さん、そうです、当時は卸専門でしたから、小売業の方しかこの会社に来る事はありませんでした。ましてや個人のお客様がカップやトロフィーを買いにくる事もなかったです。そもそも宣伝していたわけでもなく、住宅地の片隅に、見るからに廃墟らしき建物に誰が入るでしょう。ただ、大きな大きな看板は立てていました。でも、人通りがあるわけでもなく、車もたまに通るくらいの場所でしたから、個人のお客様が来ていただけるなんて想定外でした...当時は......。 その日、事務所にはがんさんしかおらず、越山さんも最近は営業や納品に出る事も多くなり、多分ふみさんは一時自宅に戻っていたのでしょうか。 1人のスーツを着た男性が入ってきたそうです。カップが欲しいとの事だったようです。 当然がんさんは聞きました。「どんな事にお使いでしょうか?」 カップやトロフィーは競技によってデザインや人形も違いますし、価格もピンからキリまでありますからね。 男性は言いました。「 実は今度、立川JCである大会をやる事になって、幹事なもので.... 」 がんさん反応します。「あ~そうでしたか、それでは......」と商談に入りつつも、 [立川? ジェー? シー???? 何だそれ?] いやいや聞き流そう、そう聞き流そう、と思いつつも気になるがんさん! “ 聞くは一時の恥 聞かぬは一生の恥 ” (この名言、ここで当てはまる言葉ですかね?? がんさんがその時そう思ってかは定かではありません) しかし、がんさん! 純粋で素直な性格....持前の好奇心、行動力からしても聞かない選択肢はないのです。 「何の団体なんですか?」 「あっ ご存じないですか、地元の若き経営者が中心になって、地元でいろいろ活動を行っている団体です」 [地元? 若き? 経営者? いろいろな活動? 行っている?] がんさん、相手の説明の言葉を一つひとつ切り取り、その言葉を確認し終えると、そんな団体あるんだと認識! がんさんはさらに思いました。 [経営者となれば決定権を持っている。そんな人たちと出会えれば、仕事がもらえるかもしれない、いやもらえる] この不純な動機? でも仕方ないですよね。だって立川JCの事をまったく知らない、最近仕事での人脈のなさにいささか焦りを感じていたタイミングですから、この時の動機は許してあげましょう。 「どうしたらその立川ジェー? シー? に入れるんですか?」 「基本誰でも入れますよ。ただ、2人の推薦人が必要ですけどね」 がんさんの頭の中は立川ジェー? シー? でいっぱいになりました。今まで考えた事もない、聞いた事もない世界。がんさんは仕事が欲しかった。立川で商売をしたかった。 そのお客様、Sさんは帰り際にこんな言葉を残してくれました。 「 もし、立川JCに興味があるなら連絡下さい。必要なら、自分が推薦人になってもいいですよ」

公益社団法人 立川青年会議所 とは なんぞや

当時は当然PCなんてありませんから、自分で調べるすべは極めて少なく、人に聞く事が一番かと思いきや、がんさんは違っていました。即、行動でした。入会の方向に走り出すのでした。 数日後、がんさんは先日のSさんに連絡を取り、入会したい気持ちを告げました。しかし、この時点でがんさんには推薦人もおらず、知り合いもいません。いやいや、立川ジェー? シー? をまったく理解していないんですよ。 がんさん、いいんですか? 大丈夫? 知らないわよ。 ではここで、がんさんふみさんの為にもここで立川ジェー? シー? の事、今やPCでネット検索できますからね、調べてみましょう。立川JCとは、立川青年会議所の略称なんですね……。
立川青年会議所とは 立川青年会議所は1965年(昭和40年)に全国で300番目、東京では2番目の青年会議所として設立され、 現在では現役91名、OB400有余名を有し、立川・国立・武蔵村山の3市を活動エリアとして、 まちづくり・ひとづくり運動を展開しております。 引用:公益社団法人立川青年会議所のホームページより
おおもとは、日本青年会議所(日本JC)で、20歳から40歳までの青年の真摯な情熱を結集し、社会貢献することを目的に組織された青年のための団体ということです。さらに国際青年会議所(JCI)のメンバーとして世界を舞台にさまざまな活動を展開ともありました。 何やら難しいので、このくらいにしておきましょう。 全国、いやいや世界組織である事。待って~、がんさん、ちょっとちょっと規模が違うんじゃあないですか。 がんさん、いいんですか? 大丈夫? 知らないわよ。(先ほどと同じリアクションをここにも捧げます) がんさん、この時点で仕事が欲しいというカテゴリーがあった事を忘れています。動機も忘れています。あまりにも新鮮な情報、大きな世界、知っちゃいましたか、世界は広いと言う事を....【井の中の蛙】だったがんさんが大きな川に、いや大海? に出ちゃう? そのくらいの衝撃だったのではないでしょうか、その時のがんさんときたら…… (ふみさん、笑うしかない) ふみさんもその話をがんさんさんから聞いた時、 「うん、うん、それはいい話ね」 ふみさんだって、この時点で仕事がもらえるかもしれないと、ただ、単純に喜んでいたに違いないのです。 でもふみさんには大きな心配がありました。 よくよく聞いてみると、(社)立川青年会議所のメンバーには、地元の名士? 地元の大きな企業の社長さん? そもそもほとんどが立川で生まれ、立川に育ち、二代目の方が多く在籍していると言うのです。 ふみさんは思いました。そんな所に飛び込んでいき、気後れしたりしないだろうか。 それに、それなりの会費、それなりのお付き合いもあるだろうし、お金の事も心配でした。がんさんが惨めな思いをするのではないか。がんさんにそんな思いをさせたくない。大丈夫だろうか。 ふみさん! ふみさんはがんさんの何を見て今まで一緒に生きてきたの? と問いかけたくなります。 がんさんはどんな環境の中にあっても、気後れしたり、惨めになったり、卑屈になったり、そんな人ではないでしょ。 ふみさんが一番わかっていたはずですよね、なのに? 心配? …… がんさんって本当に純粋で、正直で、素直なんです。 単純? って事? う~ん まあそれに近いかも知れませんが、心が奇麗なんでしょうね。身体は大きく声も大きい、でも心は純粋。 そんながんさんですから、素直な気持ちで、新しい出会いを求め、新しい環境に真っ白な気持ちで飛び込んでいきますよ。ふみさんも心配しながらも、このがんさんの挑戦を素直に受け入れる事にしましょう。 がんさんふみさん、今は仕事が欲しいと言うより、違う世界を知った事への歓び、新しい出会いの歓び、小さかった世界が大きく広がる歓び、そんな気持ちになっていたのかもしれませんね。 そうです! 今、思い出した事があります。がんさんの人柄がよくわかる場面をここで思い出してしまいました。ここで大きくこの章のテーマから脱線してもいいでしょうか。(誰に許可をとっているのでしょうか?? 笑)

は じ め て の デート

いきなりステーキ! 思わず出てしまいました。まだ、このお店に行った事はないのですが、立川には南口、北口の両方にあります。外から覗くとそれはそれは美味しそうですよね。 で、なんの前振りかというと、いきなりデート! の話です。誰の? 流れが読めていますか? 今、がんさんが新しい船出をする場面ですが、脱線しているところですよ(笑) 先日、㈱立川徽章の社員、パートさん数名で観劇に行きました。その帰り、若い社員が “これからデート” と言ってみんなから冷やかされていると、既婚者の男性社員がいきなり(また、いきなり〇〇〇〇! 言いそうですが言いません 笑) 「そう言えば、がんさんふみさんの最初のデートってどこだったんだろう??」と遠くを見て言いました。 お教えしましょう。そんなに聞きたいのなら、お話ししましょう。 時は昭和46年頃でしょうか。ある休日、がんさんは初めてふみさんに電話をしました。 「お昼ごちそうするから、真ん中辺りの公園で会わない?」 デートのお誘いですよね、言わば...ですよね。 ふみさんはまだ19歳、初々しいですね。いい感じです。ふみさんにしてみれば、4歳年上のがんさんは大人の男性、そんな人とのデートは緊張そのものでした。 ただ、真ん中辺りの公園? どこですか? 当時、がんさんふみさんは中央線の端から端、電車で1時間かかる距離に住んでいました。がんさんはその真ん中辺り、そうです小金井公園を選んだのです。初めてのデートですよ、お互いが同じくらいの距離の負担って事ですか? まあまあいいでしょ、場所は納得しました。 さて、待ち合わせ場所ですんなり会えまたよ、がんさんふみさん。最近は待ち合わせ場所も曖昧ですよね。当時は多分、しっかり待ち合わせ場所決めたんでしょうね。会えなかったら連絡の取りようがないのですから。(今は会える!) 会った時、がんさんは手に白いビニール袋(現在のコンビニ袋のような)を手にぶら下げていました。ふみさんは気にもせず、がんさんと肩を並べて、ちょっと緊張しながら目指す小金井公園へ歩きだしました。 そして、公園の芝生に着きました。そこでふみさんは驚きの光景を目にします。 がんさんは先ほどの白いビニール袋をおもむろに逆さまにし、その芝生の上にビニール袋の中身を出しました。パンです。菓子パンです。そして缶ジュースです。 がんさんがごちそうしてくれると言った初めてのデートのランチは、芝生の上での菓子パンと缶ジュースだったんです。(読んで下さっている方の反応はいかがでしょう。 “え~” ですか? それとも “そう、で” ですか?) がんさんはごく自然に、[さあ食べようか!]と言う雰囲気で芝生に座り込みました。 例えばですよ、例えば... 例えば 「ごめんな! こんな菓子パンで!」とか 例えば 「こんな所でごめんな!」とか etc…… ない、ない、ないでした。 がんさんは、それはそれは美味しそうにパンを食べ始めました。 ふみさん、えっ! と思ったと思います、多分。でもふみさんもすぐその雰囲気と言いますか、がんさんの飾らない、ありのまま、今の自分を誇示する事もなく、自然体で、無理もせず、そんながんさんの姿に、驚きから安心(?? 微妙な感情でしたが)へと変わったようでした。菓子パンの味? ですか? ふみさん、緊張していたのでよくわからなかったようですよ。(笑)ですかね。 よくがんさんの人柄がでている初デートのシーンでしょ。 そんながんさんです、(社)立川青年会議所 に入会しても、どんな人がいても、どんな雰囲気であろうと、がんさんはがんさんらしく、卑屈になったりしない、飾らない、無理しない、誇示しない、素直なありのままのがんさんであり続けられると思います。だから、ふみさん、心配しないで! ふみさん、その日がんさんと別れ、少し薄暗くなった電車のドアの向こうに映る自分の姿に語りかけました。 [あの人と結婚するかも知れない] そして、その10数年後、がんさんは、(社)立川青年会議所20代理事長に就任する事になるのです。